播州三木鉋鍛冶三代目
鍛冶銘 鉄心斎芳楽
三木の鉋・鉋鍛冶年表
三木金物問屋資料 他 による
元号 |
鉋鍛冶名 |
関連事項 |
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1772 |
寛保二年 |
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諸色明細帳 |
1792 |
寛政四年 |
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ヤマサン印鉋買値 |
1793 |
寛政五年 |
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棚卸帳鉋の在庫 |
1796 |
寛政八年 |
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問屋差入証文 |
1810 |
文化七年 |
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地出来鉋 |
1815 |
文化十二年 |
中庄鉋・藤左鉋 |
包丁鍛治中屋庄兵衛
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1818 |
文化十五年 |
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かんなかし壱軒 (鉋鍛治壱軒) |
1828
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文政十一年 |
鍛冶屋名簿 藤や金蔵 藤や治兵衛 東這田吉右衛門 前田屋弥三吉 来住や亦兵衛 |
黒川太市郎生まれる。 |
1834 |
天保五年 |
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仲買問屋衆等詫証文扣 |
1835 |
天保六年
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天保六年棚卸扣 藤治 村安 這吉 桶小 中九 |
きたい鍛治 吉平 生野屋 中庄古道具 |
1845 |
弘化四年 |
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きたい鍛治 作屋利左衛門 井筒屋源七 生野屋友吉 材木屋安兵衛 |
1849 |
嘉永二年 |
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中屋九兵衛差入証文 |
1854 |
嘉永七年 |
棚卸扣の道具買帳 藤屋治兵衛 角屋小兵衛 材木屋安兵衛 高木村政右衛門 東這田村杢兵衛 中屋九兵衛 |
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1854 |
安政元年 |
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黒川卯太郎生まれる。 |
1856 |
安政三年 |
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藤原瀧蔵生まれる。 |
1857 |
安政四年 |
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きたい鍛治 池田屋善右衛門 井筒屋久七 中屋九兵衛 |
1867
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明治元年
明治初年頃
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小山清次郎創業
鉋鍛冶の親方 黒川 小山 藤原 |
鍛冶職株取締役訴状扣 中屋九兵衛 きたい鍛治 増井佐吉 原 中本 井筒屋 加賀源 刃付けを外注に出し始める。 この頃のきたい鍛冶の作業工程が出ている文章がある。 |
1870 |
明治三年 |
材木屋吉兵衛が広田重吉として鉋鍛冶を創業。 |
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1874 |
明治七年 |
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明治七年府県物産表 |
1880 |
明治十三年 |
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井筒新吉により洋鋼で金物が作られる。 |
1885 |
明治十八年 |
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極端な販売不振になる。 |
1897 |
明治三十年 |
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黒川太一郎東京で道具屋をしていた。 |
1898 |
明治三十一年 |
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会津の鍛冶屋藤井重正が洋鋼の研修に三木へ来た。 |
1902 |
明治三十五年頃 |
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徳永順太郎鉋台の始め。 |
1905 |
明治三十八年頃 |
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押金の付いた二枚鉋が普及し始め鉋の丈が長くなる。 |
1911 |
明治四十四年 |
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「黒川君の碑」が建てられる。 |
1915 |
大正四年 大正八年 |
鉋鍛冶21軒 |
山本喜市が山本鉋製作所を創業する。 |
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大正中頃 |
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電気の動力線が入り機械の使用が始まる。 原材料を鉄鋼商より購入し始める。 |
1923 |
大正十二年 |
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関東大震災が起こりこの後好景気になる。 |
1928 |
昭和三年 |
鉋鍛冶は69軒 |
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1929 |
昭和四年 |
鉋鍛冶は87軒 |
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1930 |
昭和五年 |
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厳しい不景気になり鉋鍛冶の軒数も減り始める。 |
1935 |
昭和十年 |
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三木金物神社創建 |
1939 |
昭和十四年 |
鉋鍛冶は55軒 |
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1943 |
昭和十八年 |
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三木の鉋鍛冶が一つになり大同工業を設立。 |
1947 |
昭和二十二年 |
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ベルトハンマーや研磨砥石がほとんどの鉋鍛冶に入り始める。 |
1948
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昭和二十三年 |
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金物神社前で火入れ式が始まる。
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1951 |
昭和二十六年 |
鉋鍛冶は51軒 |
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1961 |
昭和三十六年 |
鉋鍛冶は39軒 |
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1971 |
昭和四十六年 |
鉋鍛冶は23軒 |
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1979 |
昭和五十四年 |
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鉋部会が吉永鋼鐵倉庫に地鉄鍛造場を設置。 |
1980 |
昭和五十五年 |
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地鉄鍛造場を兵庫県工業指導所内に移転。 |
1989 |
平成元年 |
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地鉄鍛造場を常三郎かんなの鍛造棟に移転。 |
1993 |
平成四年 |
鉋鍛冶は11軒 |
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1997 |
平成八年 |
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三木の鉋が伝統的工芸品の指定を受ける。 |
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