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播州三木鉋鍛冶三代目
鍛冶銘 鉄心斎芳楽


三木の鉋鍛冶の歴史
藤原鉋鍛冶の系譜

三木市新町の鉋鍛冶藤原滝蔵さんは安政三年の生まれです。親の名は鹿蔵、三木市和田の剃刀鍛冶です。今の藤原さんの家には明治十二年の姫路での、兵庫県物産展の銅メダル、明治四十四年の銀メダル、大正十五年の銀メダルが残っています。
滝蔵さんがいつから新町に住んでいたにか分かりませんが、土地屋敷を買っ
たのは滝蔵さんです。滝蔵さんの長男は早く亡くなり次男も目を悪くして鉋鍛冶を廃業しました。滝蔵さんは多数の弟子を育てられ三木の鉋産業発展の為貢献されました。

     

滝蔵さんの親方は分かりませんが、明治の初め頃鉋の有名な親方として黒川・小山と共に藤原という親方がいました。滝蔵さんは明治元年で十歳ですから藤原という人が滝蔵さんの親方ではないのか。そして明治十二年のメダルはこの親方がもらった物ではないのか。滝蔵さんはこの親方に弟子入りして後を継いだのか。滝蔵さんと藤原と言う親方は何か関係があると思いますがはっきりしません。

さらに推測を許してもらえれば、三木金物問屋資料の中に文化十二年(1815年)藤左(藤屋左兵衛 ) という鉋鍛冶が載っています。その十三年後の文政十一年には、藤屋治兵衛という鉋鍛冶が出てきます。 この藤屋治兵衛という人は、この頃以降幕末に至るまで、三木の鉋鍛冶の第一人者として活動しています。左兵衛と治兵衛は親子だと思います。治兵衛は文政十一年に名前が出てから明治元年には四十二年たち、年齢も高くなり子供がいたら子供の代になり、明治になって屋号の藤屋から藤原と姓が変わりこの人が滝蔵さんの親方ではないのか。

系図にすると 



となると思いますが私の推測です。








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