播州三木鉋鍛冶三代目
鍛冶銘 鉄心斎芳楽
鍛鍛冶とは江戸時代の末期から明治の初めに三木に居た鍛冶屋で、玉鋼を鍛えて刃物の原材料の鋼を作る鍛冶屋の事です。
昭和の初め頃に三木上ノ丸にある稲荷神社の神主で郷土史家でもある広瀬義一という人が、
横座一人先手の鎚打ち四人と鞴吹き一人の六人が1チームで作業をした。
作業する姿は裸で褌一本になり鎚打ち四人は大鎚を円の様に振り回し鍛錬をする。四人のうち二人ずつ二組に分かれ、
これは大鍛冶の四人打ち作業 |
上の図は江戸時代安芸地方で和鉄を作っていた大鍛冶の鍛造作業の風景ですが、鍛鍛冶の作業もこれと同じでした。鍛造作業は体力の要る仕事で米は一日一升を食べ酒は二升飲む人もいた。午前2時頃から午後3時まで作業して
鍛鍛冶という言葉が出てくるのは『三木金物問屋資料』の天保六年の棚卸帳が最初です。
鍛鍛冶は専門職だけでなく鉋鍛冶をしながら鍛鍛冶株を買ってこの仕事をする中屋九兵衛の様な人もいました。
もともとは鉋鍛冶なり鑿鍛冶なりの道具鍛冶がそれぞれこの仕事をし、そしてそれぞれの刃物を作っていましたが、
粗製乱造ではなくこの作業に習熟した職人が、いい玉鋼を使って専門に作っていたのでいい鋼が出来たと思います。
安政四年の正金銀取扱諸商人名前調帳に池田屋善右衛門・井筒屋久七・中屋九兵衛が載っています。
明治の初めには増井佐吉・原・中本・井筒屋・加賀源の五軒の鍛鍛冶がいて、加賀源は北陸の加賀から来た
この後も鋸鍛冶をはじめまだ玉鋼を使う鍛冶屋はいましたが、鍛鍛冶の時代は江戸末期から明治初期の約半世紀の短い期間で終わりました。
参考資料 『郷土断片』 広瀬義一著
『三木金物問屋資料』 長島福太郎編
『芸州家計隅屋鉄山絵巻』
〒673-0414
兵庫県三木市芝町1-25
TEL・FAX 0794-82-1428