平成21年岩壺神社奉納芝町屋台巡行記
宵宮
10月17日今年も祭りがやってきました。朝7時半からNHKのウェークエンド関西という番組の中の西日本の旅で三木金物が紹介されました。
その中で山本鉋が出て私の作業やインタビューが放送されました。それを見た後芝町屋台蔵へ行くともう芝町の法被を着た大勢の人が集まっていました。
今日は昼頃少し雨が降る予報なのでそれが心配です。8時半頃から芝町屋台の出立ち式が始まりました。役員さんの挨拶の後金光教片嶋三木教会長さんの
屋台運行安全祈願のあと乾杯で出立ち式は終わりました。今年は台車の管理をしなくてもいいので楽な祭りになりそうです。
出立ち式 婦人会老人会によるおにぎり作り
式の後テレビを見ていた人が「テレビに出てたな」と話かけてきます、見てなかった人は「言うてくれたらええのに」と。きらびやかに飾り付けをされた
屋台が蔵から引き出され湯の山街道を不断坂まで往復します。まず指揮者の「ウッテクレー」の声にドンドン、後は舁き手全員の「アーモウヒトツトセ」
ドンドン「アーヨーイトサンド」ドドンドン「ホラサーシマショ」の声で屋台を舁き上げ、「アヨイヤサー」の掛け声で屋台は動き出します。
見酒造本宅前を行く芝町屋台 私の家の前の不断坂を上がる芝町屋台
「肩がさら」という言い方をします、十分屋台を舁く体力ある時の事です。肩がさらなので屋台はフラフラせず真っ直ぐゆっくりと進みます。
東へ湯の山街道を行って不断坂に差しかかり、私の家の前を上がり大塚町の境まで上ります。ここから引き返し屋台蔵の前へ帰ります。
この後屋台を子供会の子供達の引く台車に載せて芝町の北の方を回って屋台蔵へ帰って来るとしばらく休憩です。
12時前になると芝町屋台は大塚の屋台を迎えに不断坂の途中まで行きます。上から太鼓音が聞こえ大塚の屋台が下りて来て一緒に湯の山街道を
下ります。県道を渡り元北井酒造本宅前に来ると2台の屋台は止まってしまいました。聞くと岩宮屋台の到着を待っていて、一緒に屋台集合地である
山理前交差点へ行くそうです。この元北井酒造本宅はレストランながさわになっていますが、その西にある離れ座敷はそのまま残っています。
舟板塀の蔵の奥の座敷は明治24年に大庄屋の建物を移築されたもので見事な作りです。調度品も古い額に屏風・鎧甲冑に鼎と古い素晴らしい
ものがあります。
出立ち式での鏡割り 先導する天狗は芝町区長OBです
ゆっくり歩いて山理前へ行くと太鼓の音はするが屋台はまだ来ていません。ここは湯の山街道から北へ細川を通り東条へ通じる東条道の起点です。
湯の山街道と東条道の道幅は違います。湯の山街道の方が道幅が広い、昔の街道も等級があって主要街道は道幅が広かったのだろう。
しばらくするとヨイヤサーの声と一緒に西から大手町の屋台が入って来た。舁いて来るのは珍しいな。そうしていると東から芝町屋台を先頭に
大塚屋台が元気に舁いて下りて来た。山理前交差点の四方に屋台が7台の屋台が集まり、岩壺神社奉納屋台の出立ち式が始まりました。
屋台年番である芝町の大原副区長の司会で始まり芝町青年の祇園囃子で終わりました。
本宅と蔵の間が離れの入り口 稲見酒造の志るし杉玉
すぐに岩宮屋台を先頭に各屋台は台車に載って湯の山街道を上がります。その先頭には天狗が歩きますが、その天狗は今年は屋台年番である芝町が
務めます。
ここには戦国時代三木合戦の後秀吉から拝領した母衣が残っています。別所家の家臣だった加古弥七郎秀久は秀吉に仕える様に言われましたが断りました、
その時態度が良かったのでこの母衣と大西という姓を拝領したそうです。
芝町屋台は芝町屋台蔵前に来ると舁き始めます。すぐに稲見酒造本宅になり、この豪壮な民家の稲見酒造本宅の正面には杉の葉で作られた
丸い玉が吊られています。これは志るしの杉玉と言って、奈良県にある酒作りの神様である三輪神社の、御神体である三輪山の杉の葉を使い酒作りの
お守りとして酒作りの家に飾られています。少し街道を行くと、築100年以上前の民家を改造した日月くらぶがあります、ランチとパンのお店です。
昼食の食パンをよく買いに行きます。ゆっくりと進んで行くと芝町屋台は私の家の前を通り不断坂を上がります。そして石垣の間の狭い所になります。
南側の石垣の上には薬師堂があります。
薬師堂横の不断坂をあがる芝町屋台
この薬師堂にはおもしろい言い伝えがあります。昔この薬師堂に泥棒が入り薬師如来様を盗んで加古川の方へ歩いて行きました。別所の這田村辺り
へ来ると
きて、
大塚町の湯の山街道を行く大塚屋台
芝町屋台が不断坂を上がり大塚町へ入ると大塚屋台も舁き始めました。東へ行くと戎神社手前に古い町家風の民家が3軒並んでいます、いい雰囲気です。
そのまま芝町屋台はヨイヤサーと祇園囃子を歌いながら舁き進み、私は松谷君と話をしながら行くと恵比須駅前の休憩地に着く。今年もここまで一度も屋台を
落とす事無く舁いて来ました。ここでは少しお酒が出ます、少し飲んだ後周りを歩くと去年と同じ様に宿原の屋台が来ている。
屋台行列の先頭を行く芝町の天狗
その後県道を西へ行きます。同じ様に天狗を先頭に7台の屋台が続きますので、東行きの車は通れますが西行きの車は屋台の後に渋滞しています。
大手町の信号から屋台は舁き始めナメラ商店街の入り口で下し台車で中央公民館横の広場へ行きます。7台の屋台が集まると恒例の8台練りが始まりました。
広場は人で一杯で屋台は動かずに舁いています。8台練りが終わるとここでパンとビールで休憩です。
しかし少し休むと「出発です」の声、屋台の運行が遅れているのだろう休み時間が短かった。
中央公民館横での7台練り
来た道を引き返し神鉄上の丸駅前から東条町の方へ。山理前交差点では宿原の屋台が見送ってくれました。ここから昔の東条道を行く、道幅が狭くなり車は
一方通行です。ここも少し前まで古い家が多く残っていたがもう数えるほどしかありません。歩いて行くと東条街道舟着場跡の標柱があります。
江戸時代美嚢川には三つの舟着場がありここが一番上の上津で一般の物資を取り扱い、下の中津は公の奉行所専用で下流の下津も一般の物資を扱いました。
狭い東条道を行くと松谷君の家の前へ、明治の初め頃は町並みはここまででここから北は田圃が広がっていた様です。屋台の前を歩いて行くとまた川の方へ
路地がある。私が小中学生の頃イセコダをいう浅瀬があり子供達が泳いでいた所だ。土砂でもっと浅くなっている様だ。今寄ってきた舟着場の少し上流です。
横に記念碑という石碑がある、防火道路建設委員とあり名前もあります。火事の時川から水を引くための道路なのだろう。
芝町屋台の宮入り
東条道へ戻り県道を渡った後岩宮公民館前へ、待っていると岩宮屋台がやって来て休むのかと思ったらこのから鳥居前へ舁いていった。
芝町屋台はここで投光器を取り付け宵宮宮入の準備をします。鳥居のところへ行くと岩宮屋台が宮入を待っているところで祇園囃子を歌って盛り上がっています。
やがて神主さんと役員さんが出てきてお祓いをした後宮入りが始まりました。
宮入りで拝殿前での3台練り
岩宮屋台と大塚屋台が宮入をした後芝町屋台の宮入です。もう暗くなった参道をライトアップして金色の屋台がヨイヤサーの声と共に拝殿前広場へ進みます。
拝殿前では岩宮・大塚両屋台と共に練り合わせそして差した・差したと屋台を差し上げ練り回ります。次に大手屋台が来て同じ様に広場を練り歩いた後
芝町屋台は大塚屋台の隣に休みます。全屋台が宮入をした後しばし休憩です、今年も大勢の見物人が来ています。
宮出が始まりました。大手屋台の後芝町屋台も舁上げましたが、舁き手が少なそうなので私も舁きに入りました。
周りは若者ばかりですが屋台は見るものではなく舁くものです。宮出の後は屋台を台車に載せて祇園囃子を歌いながら芝町へ帰ります。
本宮
今日の天狗
18日の本宮も山理前交差点で屋台の出立ち式が行われ、各屋台は台車に載って湯の山街道を東へ上がります。大塚町の端から南へ行き県道を西へ歩きます。
屋台行列の先頭には天狗が歩きます、今日も芝町の人が交代で三人が務めます。神鉄上の丸駅前から東条道へ入り、後は昨日と同じです。東条町の端から県道を
渡り岩宮町へ岩宮町公民館前で休みます。私は神社の広場へ行きましたがまだあまり人は来ていませんでした。拝殿に上がり古い宮相撲の額を探しましたが
ありませんでした。私の曽祖父石松が木村仙司という行司名で行事をしていたので、時期は明治の終わりから大正の初め頃だろう。
その頃の相撲額に木村仙司の行司がないか探しています。
宮入りの神事
昼前になると宮入りの神事が始まり、その後岩宮屋台から宮入が始まりました。岩宮屋台は今年泥台から四本柱舁棒を新しく作ったので、
少し大きくなったように思います。ここは年配の人も頑張って舁いています。次は大塚屋台の宮入です、ソリに載せて押して鳥居を潜ります。
そしてすぐに差した・差したと屋台を差し上げ、ヨイヤサー・ヨイヤサーとその場で練った後参道を進みます。
そして大塚屋台が迎えにきたら芝町屋台の宮入です。
芝町のソリは赤く化粧しています 鳥居を入るとまず差した。
赤く化粧されたソリに載っていよいよ宮入です。一斉に押して鳥居を潜るとすぐに差した・差した、その状態で長く練った後ゆっくりと参道を行きます。
拝殿前では岩宮屋台と大塚屋台が真中を空けて待っていて、そこへ芝町屋台が入り3台の屋台で練り合わせをします。勇壮で見事なものです。
練る場所を3回変えて練り合わせをした後芝町屋台は大塚屋台と一緒に大手屋台を迎えに行きます。そして拝殿前へ帰ると大塚・芝町・大手屋台が
場所を変えて練り続けます。
拝殿前で3台練り
東条町屋台の宮入の前に登場町青年が参道の見物人に赤と白のハタキを配って歩いています。東条町屋台が通る時ハタキを降って応援してもらうためです。
このハタキは青年が作ったもので宮入の後回収するそうです。東条町屋台の宮入が始まりました、参道の見物人からハタキが打ち振られより宮入を盛り
上げています。
大塚町6年生女子児童による浦安の舞 小学生による奉納相撲
その後いつもの所で休憩です、祭りで一番楽しみの時間です。各町休む所が決まっていて芝町は広場の南の林の真中辺り、町内の人とお酒を楽しみます。
しばらくすると太鼓の音も休み拝殿では神事が執り行われます。この時はまだみんなお酒と話に盛り上がっています。そして雅楽の音が聞こえて来ると能舞台で
神様に奉納する浦安の舞が始まります。今年は大塚町が当番で6年生4人が踊りました、いつもながらいいものです。
その後各町対抗の奉納相撲です。土俵の周りは父兄で一杯で応援がすごい、芝町はある学年に児童がいなくて各町対抗には参加で出来ませんでした。
各町対抗は大塚町が優勝し、学年対抗では芝町は1年生の堂田君・6年生の大山君が優勝しました。これで宮入の後の行事は終わり休憩に入ります。
私は子供の頃泳ぎに来ていた神社裏の下の湯へ下りてみました。道はなく横から林を下りて水路に立つと昔と同じ感じですが向こう岸の竹薮が無くなっている。
神社を出て北から湯の下へ行くと、堰堤から下の流れから昔の風景とはかなり違っていました。
芝町屋台と大塚屋台の棒合わせ
宮出が始まりました。まず6台の屋台が広場に出て一斉に舁き上げて練る6台練りです。神社内は6台の屋台の太鼓とヨイヤサーの声で喧騒の世界になり
祭りもクライマックスに近づきます。しばらく練った後屋台は元の位置に戻り滑原の屋台から宮出が始まります。滑原屋台から動き始め東条町屋台大手屋台
と続き
芝町と大塚屋台の大きさはほぼ同じ、そして同じ様な姿で揃って上下するのは見事なものです。
しばらくの間3・4台の屋台で広場を練りまわった後芝町屋台も宮を出ます。参道を行き鳥居手前で屋台を下しそりに載せます、
そして一気に押して鳥居の外に出てまた舁き上げます。少し前へ行ってから休憩します。全屋台の宮出が終わると各町役員さんが鳥居の所に集まり、
終わりの式をした後屋台は各町へ帰ります。芝町屋台もゆっくりと進み芝町になと、入れる道は入り各家に祭りの終わりの挨拶をします。
芝町・大塚・東条町屋台の3台練り
5時前になると東条町屋台とのお別れが今年は芝町のグループホームあけぼの横の三叉路で行われます。もう暗くなりライトアップした芝町屋台と
東条舞屋台が舁いて練ります。グループホームのお年寄りも外でイスに座って見ています、今年はいい所で出来ました。ひとしきり舁いた後休んでいると
大塚屋台が、
でいます。
3台練りが終わると東条町屋台は町へ帰り町内を舁くそうです。芝町屋台は大塚屋台と県道から芝町公民館へ行き練った後不断坂を上がり帰って行きました。
その後芝町屋台は町内をゆっくりと舁き9時頃屋台蔵に屋台が収まり祭りの屋台巡行は終わりました。雨にも遭わず事故もなくいい祭りでした。