H19年岩壺神社奉納 芝町屋台巡行記 10月13日・14日
13日宵宮
10月の第二土日は岩壺神社奉納の屋台が出る日です。13日土曜日朝8時半頃
人達が芝町公民館太鼓蔵に集合し準備の後、
の半被に白ズボンに
岩谷さんの芝町屋台無事巡行の神事の後、三宅区長・安福屋台保存会会長のあと
芝町屋台の概要は高さ3.91m・高欄の幅は2,23m・舁き棒の長さ9m・
・鳴り太鼓の鏡面は2尺5寸5分(77cm)。
高欄掛けは
出立ち式の後肩ならしに公民館前の町内を少し舁いた後台車に載せて町内を一巡します。
台車の管理です、屋台を舁(か)いている時その後を台車を押して着いて行く役目です。
ありません。町内をゆっくり回ってきた後公民館前で芝町公民会の出すおにぎりで昼食を摂ります。
の婦人部が作ったもので、子供会も屋台の太鼓を叩き台車の綱を引いたりして芝町全体が祭りに協力しています。
芝町屋台出立ち式 記念撮影
公民館前の道路は昔湯の山街道と呼ばれた道です。12時半頃になるとその湯の山街道を東から大塚町の屋台が来て、2台の屋台が
挨拶代りに
東条道の交差点へ行きます。
舟板塀といわれ古い川船の板が使われています。
集まって来ます。
岩壺神社奉納屋台出立ち式 私の家の前を上がる芝町屋台
岩宮町・大塚町・芝町・大手町・東条町・滑原町の順番に台車に乗せて湯ノ山街道を東へ緩やかな坂を上がります。芝町へ入ると
大塚町へ入った辺りで
重くなく屋台は順調に進む。
休憩地恵比須駅前まで行きました。
屋台を先導する天狗(猿田彦) 恵比須駅前での休憩
駅前で休憩した後県道を下り大手町の信号辺りから6町全屋台を舁いで行進します。以前はここで屋台を舁く時は対向車線へ出ない様に、
警察から言われていましたが今年は通行止めにしているの舁きやすくなりました。6台の屋台が練りながら大手町を通り滑原商店街入り口で
また台車に載せます。そして中央公民館の駐車場に行きそこで六台で練り合わせをした後休憩です。ここは軽食とお酒が出ます。
中央公民館からは台車で道を戻り神鉄上の丸駅前から北へ東条町へ入ります。東条町は道幅が狭く台車で通るのも慎重に行きます。
東条町屋台はここを舁いて行くそうですが慣れていないと出来ません、屋台がある程度傾くと屋根に当たるので。東条町から県道を渡り
岩宮町に入り岩宮公民館前で休憩の後宵宮宮入りのため鳥居前に並びます。宮入のため屋台を下ろした台車は例年鳥居前の石だらけの
少し高い所に
ここなら一人でも出せます。
宮入前の拝殿 宮入りの練り合わせ
宮入は6時頃地元岩宮町が最初に始まりました。大塚町が宮入りした後芝町屋台が鳥居前に進み宮司さんのお祓いを受けた後、
大塚町の屋台が拝殿前から迎えにきたら宮入です。祇園囃子を歌った後スキーの様なソリを履いた屋台を押して鳥居を潜ります。
これは屋台の高さが鳥居の間ぎりぎりで舁いて入る事が出来ないからです。
もう暗くなった境内を舁き棒に着けたライトで屋台の上部を照らしヨイヤサーの掛け声で参道を進みます。私の舁く所はありません。
人でいっぱいの拝殿前広場
拝殿前に行くと両側に岩宮町と大塚町が並びその真ん中へ入り練った後、「差した。差した」の声と共に屋台の舁き棒を両手で差し上げ
「ヨイヤサー」と突いて練り始めました。すぐに普通の舁く状態に戻りますが最初の3台練が終わった後、
芝町屋台は「竹にナーアアア雀はアーヨイヨイ」と祇園囃子を歌いながら参道を引き返し鳥居前へ大手町の屋台を迎えに行きます。
宮入した大手町の屋台と一緒に拝殿前へ行くと、今度は芝町屋台は左に行き大手町を中に同じ様に練ります。
そして場所を変えて練った後所定の場所に屋台を置いて休みます。その後も東条町・滑原町の屋台が拝殿前で練って宮入は終わります。
境内はライトで照らされ見物人も多く年々賑やかになってきています。ここでおにぎりと少しお酒が出ました。
宮出の前に6台の屋台が一斉に練る6台練りをした後、宮出は宮入りと逆に滑原町から鳥居を出て行き、芝町は大手町の後また鳥居前で
屋台にソリを履き押して鳥居を出ます。後は台車に載せヨイヤサーや祇園囃子で芝町へ帰り太鼓蔵に屋台を収めて宵宮は終わります。
14日本宮
本宮出立ちの差した・差した 平山町の湯ノ山街道沿い旧北井酒造本宅
14日の本宮の日は起きるのが遅く準備をして、太鼓蔵へ駆けつけるともう区長の挨拶が始まっていました。今日の芝町屋台出立ち式の後
8時半頃になると大塚屋台が下りて来て昨日と同じ様に平山町へ行きます。舁いて湯ノ山街道を下り東条道の交差点で本宮の出立ち式を行います。
その後昨日と同じ様に巡行しますが神社まで台車で行進しますが、先頭には天狗の面をかぶった猿田彦が先導します。
猿田彦とは天孫降臨の時爾爾芸命(ニニギノミコト)を葦原中国(アシハラナカツクニ)へ案内した神ですからこの巡行は天孫降臨を表しているのかな。
芝町の湯ノ山街道沿い稲見酒造本宅 芝町の湯ノ山街道を行く芝町屋台
大塚町の一部は古い民家が軒を連ね懐かしい雰囲気が残っている所もありそこを屋台が通ります。私は「ギャラリー湯ノ山」で古い湯ノ山街道
の資料を見ながら、
岩壺神社を目指します。
ソリを履いた泥台 宮司さんのお祓い
11時12分に本宮の宮入が始まりました。岩宮町・大塚町と入った後芝町屋台がソリを履き鳥居前に止まり神事の後、
大塚町の屋台が迎えに来たら宮入です。祇園囃子を歌っている途中一斉に屋台を押して参道に入った後、
屋台を担ぎ上げ祇園囃子を歌いながら参道をゆっくりと進みます。境内は人であふれんばかり大塚町の後を付いて行き拝殿前で
岩宮町と大塚町の間に入り3台が練り始めました。指揮者の合図と共に「差した・差した」と屋台を両手で差し上げ
「ヨイヤサー・ヨイヤサー」と練り始めます。これを3屋台が場所を変えて繰り返した後芝町屋台は大手町の屋台を鳥居前まで迎えに行きます。
宮の宮入
大手町の屋台とまた拝殿前に来ると大塚町と一緒にまた3台練りをします。この様に長時間屋台を舁く時棒端(ぼうばな)辺りの人は
交代しながら舁きます。その後宮入して来た東条町の屋台共3台練をした後、広場の南の端大塚町の屋台の隣に屋台を置きます。
この時ウマという木の台に舁き棒を置いて屋台を浮かして休ませます。
東条町の6年生の女の子による浦安の舞 子供相撲
後は境内の林でオードブル・おにぎり・お酒の接待があり町内の人と楽しみます。祭りでこれが一番だという人もいます。
最後の滑原町の屋台の宮入が終わると太鼓の音も休みやがて雅楽の演奏が始まり「浦安の舞」が始まります。これは宮年番の町の小学六年生の
女の子が踊ります。これに該当するのは難しく私の娘二人も該当しませんでした。
浦安の舞とは昭和15年皇紀2600年の祝祭行事として作られた舞で国の平穏無事を祈る舞だそうです。
宮出の前の6台練り 宮出の時芝町屋台と大塚屋台との棒合わせ」
その後町対抗子供相撲が行われ去年は芝町が優勝しましたが今年は大塚町が優勝しました。土俵の周りは各町の人の応援で賑やかです。
3時頃6台の屋台が一斉に練る6台練りが始まりました。広い拝殿前の広場が狭く感じるほど屋台が練り、太鼓とヨイヤサーの声に包まれます。
6台練が終わると屋台は本の位置に戻り滑原町の屋台から宮出は始まります。大手町の後芝町も舁き始め東条町が出た後、
舁き始め大手町の屋台と3台練りをしている途中、芝町屋台は大塚屋台と棒合わせをして練り始めました。
舁き棒と舁き棒を合わせて舁く事で、同時に上下すればそれは見事なものです。今回もきれいに合っている時がありました。
大手町の屋台が出た後岩宮屋台との3台練りの時も、合わせして練り鳥居を出て宮出は終わりました。
芝町太鼓蔵前での大塚屋台とお別れ式 祭りが終わり太鼓蔵に入った芝町屋台
岩宮町の屋台が宮出をした後鳥居の所で各町代表者がお別れ式をした後地元へ帰ります。岩宮町からゆっくりと芝町へ帰り町内巡った後、
東条町のダイソー横へ行き東条町屋台と練り合わせをしてお別れ式をしました。その後公民館へ戻り休んでいると大塚町の屋台が下りて来
てまた練り合わせです。
この時だけ青年団の役員が舁き棒の上に乗る事が出来ます。舁いて少し行っては落としまた舁いて行く。祭りの最後を楽しんでいる様ですが
私はもうスタミナ切れです。
無くしっかりと舁いて巡行出来て最高の祭りでした。