鍛冶屋のつれづれ書き

                     芝町八坂神社

 三木本要寺の古文書を集めた宝蔵文書に、年代は分かりませんが江戸時代明石町の祇園講社に、行灯を奉納

したいという文書がの残っているので、江戸時代には八坂神社が祇園講社として三木町で祀られていた事は

確実で、行灯の奉納もしていた様です。しかし文書を出したのは地元明石町の人ではなく、下町の人で三木町

には八坂神社は少なく他町の人も祇園講を作って行灯を奉納していたのだろう。

 美嚢郡誌の大宮神社の八坂神社の説明に、「右ハ當福井町小字事二存セシ八坂神社ノ小詞八社ヲ境内神社

豊玉姫命神社ニ合祀改稱セルモノナリ(大正十年)」と載っているので、明治になってからも三木町下五ケ町に
祀られていた八社の八坂神社が、その後大正十年に大宮神社の豊玉姫神社に合祀されています。。

 現在は本殿に祇園大神素戔嗚尊として祀られています、そして七月には祇園祭りが奉納されています。


 岩宮町の岩壺神社には御神燈文化
年と彫られた石柱の横に、八坂神社が祀られられていますが、岩壺神社

として神事は行わられていません。岩宮町として祀られているのだろう。

 上五ケ町では芝町と平山町と滑原町に八坂神社が祀られています。滑原町では明治二十七年に祭り屋台の屋台

蔵に八坂神社が祀られたのが始まりです。七月の祇園祭には小さい屋台で石段下へ下し、鳥居前の小さい広場で

祀り行灯も飾った。大勢の人のお参りがあった様です③。その後昭和年に大勢の人達の寄付によって、上の丸

の滑原町屋台蔵の前に改築されています。

   
    滑原町の八坂神社                                   岩壺神社の八坂神社

 
 平山町は本長寺に祀られていますが何時からなのか分かっていませんが、昭和から平成にかけて通りからお寺

への参道には行灯が飾られ祇園祭が行われていました。現在でも平山町の役員さんが一週間祇園祭としてお詣り

しているそうです。

 芝町も何時頃から祀られていたのか分かりませんが、初めは芝町の通りに祀られていたそうです①。それが

明治の終わり頃だと思いますが芝町の心光寺に祀れれる様になった。芝町八坂神社は芝町の町が管理しています。

月には疫病退散祈願のため祇園祭りが行われます。昭和の初年頃には七月七日から十四日の祇園祭には芝町の

青年が世話をして、夜には心光寺参道に蠟燭を点けた行灯を並べていた。湯ノ山街道の通りには出店も出ていて、

大勢の人がお参りに来て芝町の昔からの行事だった様です②。


 この祠は昭和四年に建て替えられましたが、滑原町も昭和三年に建て代えられています。どちらも昭和天皇御

大典記念だったのかもしれない。芝町の祠は棟札によると芝町の旧三木印刷の西隣に住んでいた大工の國寶さんが

作っています。そして昭和四年に芝町婦人会が幕を寄付している記録がありますので新しい八坂神社に付けたのだ

ろう。それから永く八坂神社の記録はありませんが芝町の人達が祀っていたのだろう。

 昭和三十年代にこの祠が芝町公会堂玄関前の大岩の上に祀られていた事があります。なぜ公会堂前に祀られてい

たのか分かりませんが、何年か経った後また心光寺に戻っています。この頃心光寺での祇園祭には老人会が行灯を

作り参道にかけるなどの世話をしていた。この時には祇園祭りの行事として子供会の相撲大会が行われていました。

昭和四十年代になると七月第一土曜日から一週間の祭りになりました。

  
 祇園祭の準備の終わった心光寺境内               祇園祭最後の日の子供会の集まり   

 昭和四十年代後半頃に芝町青年団が出来るとまた青年団が祇園祭の世話をしました。紙の付いた行灯の木枠を水

で洗い干しておく。正面の絵を描き、横に「家内安全」や「町内安全」などの標語を墨書きする。それを行灯に

糊で貼り付ける。祇園祭りが始まると一週間毎夜火を点けた蝋燭をたてた行灯を参道に架けて行く、子供達も大勢

見物に来ていて、青年団は毎日出ていました。しかし青年団は四年で終わりました。その後絵は子供会が描き老人

会が世話をしていました。祇園祭りの最後の土曜日には子供会の相撲大会があり、夕方には子供会の役員さんの

子供のための夜店があり、子供たちが大勢集まっていました。その夜には町内会の人が八坂神社へ参った後公会堂

で祇園講があり芝町のみんなが楽しんでいました。

           
                 平成二十七年に新築された芝町八坂神社

 平成に入ると八坂神社の祠の痛みがひどくなって来て、新築する事になり町内から寄付を集め平成二十七年に、

大塚町の大工米澤さんによって新しい祠が出来ました.。そして芝町八坂神社遷宮祭が執り行われ、七二十七日

の深夜に金光教片嶋様によって御霊移しを行って頂ました。明けて二十八日に芝町八坂神社の遷宮というべき式典

が執り行われました。以前のより少し大きく銅板葺きの総檜作り、土台の木は腐り難い木が使われています。

紫の幕は新調されて新しい社に似合っています。

 芝町の八坂神社の神事には疫病退散祈願の他に、過去一年間芝町で生まれた赤ちゃんの健やかな成長を祈る

鈴の緒」神事が行われます。令和二年・三年はコロナの為祇園祭は出来ませんでしたが、これからも芝町の人達

によって芝町八坂神社は祀られて行きます。

 

①わが町今昔 コタニマサオ  ②終始一貫 田中正一郎  ③横山隆氏談