鍛冶屋のつれづれ書きへ

美嚢川の川遊び

私が小学生の頃7月になると川へ遊びに行く子供達がいたのだろう、田圃に農薬をまく季節になると朝礼で校長先生が「今頃から田圃に農薬を

 まき始めますから絶対に川へ入らない様に」と言われていたと思います。私も時々行っていました。夏休みになると子供会の役員さんが町内の子供を、

 岩壺神社裏の美嚢川へ泳ぎに連れて行ってくれました。昔の美嚢川は水がきれいだった。岩壺神社の裏の辺りは、堰き止められた池の様な所で東側の

 砂地の浅い所で遊んでいた。

  他に下流へ行くと大湯という堰き止められた広い所がありますが深くて子供は泳げません。その下の東条町の裏辺りにイセコダという浅い子供の

 泳ぐ所があった。岩壺神社裏は西側の崖の下辺りだけが深かった。小学校高学年になるとそこを泳いで渡りに行きますが、初めて泳いで渡る時は一大

 決心の冒険です。浅い所ではもっと長い距離を泳いでいても背の立たない所は不安なものです。一度泳いでしまうともう怖さはなくなりますが。

 

        岩壺の湯の昔の深い所                       向こう岸手前が昔の浅い所

  崖の上から飛び込んだりして遊んでいますが、中学になると泳ぐだけではもの足りなくなり、近所の同級生とヤスを作って魚を突きに行くようになりました。

  私の家の職場で鉄の細い丸棒の先を叩いて削りヤスの先を作り、パイプや傘の柄の中を通しゴムで20cm程飛び出す様に作る。夏休みになるとこのヤスを持って

  川へ行きます。岩壺神社裏の堰の下は所々1m40・50cm位に掘れて下流側は深くえぐれた所があります、こんな所をエタラといいますがその中へ潜って

  魚を探します。

 鮒は小骨が多く食べられないので突きません。まれに底の一番奥に鰻を見つける事があります。そんな時十分息を吸ってからまた一番奥へ潜り鰻の首の辺りを狙って

  ヤスを打ち込みます。すると鰻は暴れ泥を巻き上げ何も見えなくなります、そのまま突き刺して息継ぎに水面に上がりすぐにヤスを刺した鰻を探しに戻ります。

鰻は首を刺されヤスに繋がれ逃げる事も出来ずすぐに見つかります。一夏に30cm位の鰻を一匹は突いたと思います。こんな時は嬉しくて帰って

母に蒲焼きにしてもらった事を覚えています。

 

         湯の下のえたらのあった所                    久留美へ流れる下流の方

ある年友達が大きなヤスは要らないだろうと細いヤスを作り魚を突きに突きに行きました。そしてある日鰻の取れる所で探していると、

潜って少しして上がって来ると「鰻突いたぞ」と喜んで言いました。見ると太い40cm位の鰻です。すごいなと見ていると鰻は身をくねらせ逃げよう

とします。細いヤスでは戻りも少なくあれよあれよという間に鰻はヤスから逃げてしまいました。

友達は捕まえようにもヌルヌルでどうしようもありませんでした。この後私の家の職場に来ていた職人さんの、川の達人広田さんに聞くと「鰻の胴体を

 歯で噛むんや、歯で噛んだらよう逃げへん。鰻に噛まれても死にはせえへん」と。鰻のいる溜りからは幾筋もの狭く浅い水路の様な流れになります。その様

な浅い流れを上流から水中メガネで見ながら下ります。目当てはスナッポという海にいるキスに似た魚で正式な名前は知りません。

   下が砂で魚の肌が砂地に似た保護色で分かり難いがよく突く事が出来ます。かなり下流まで魚を探し4時か5時頃、突いた魚をササに吊り下げて熱い石の

川原を  登って帰ります。もうくたくたに疲れますが毎日の様に川へ行きました。その頃川にいた魚は、鮒・鯉に似た「に鯉」・鰻・鯰・ギンタ・ハイジャコ

・アカモト・ スナッポ、鰻の赤ちゃんハリウナギはたくさんいました。よく取れたのはスナッポでハイジャコはよく釣れました。しかしハイジャコは正式名は

何というのだろう。

                         現在のイセコダ

鯉はほとんど見た事はなかった。広田さんが言うには普通のヤスでは大きな鯉の鱗は通らない、鯉を突くには斜め後から鱗にかからない様に突くらしい。また私

は川で海老は見た事がない。何時の頃か聞き忘れましたが、広田さんが言うには三木から美嚢川下流の通称西川では川海老がいて、5・60cmのテグスの先の釣り

針に何か忘れましたが小さいえさを付けて、岩の間にたらすと面白い様に川海老が釣れたらしい。美嚢川は豊かな川だったのだ。

 季節はいつ頃だったのだろう、近所の友達4・5人と岩壺神社の下の方久留美の湯辺りへ遊びに行きました。ここは美嚢川と志染川の合流地で美嚢川は堰き止めら

れて湯になっていて、湯からは田圃へ入れる水の水路が流れています。その土手に木の板で出来ている所があった。誰が言ったのか知らないが上の板を2枚ほど取ると

水が美嚢川の本流へ勢いよく流れ出した。その水の流れに2・3段石で堰を作る。そのままにして何処かへ遊びに行きました。3・40分ほどしてから帰って来て板を

元の所に差して水を遮断した。

魚がこの流れが川だと思って上って来ているので、水が無くなり跳ねながら石の間に潜り込む。おもしろい様に魚が掴めました。魚を持って帰るものを盛ってな

かったのだろう、近くで釣りをしていたおじさんに、大きなバケツ半分位の魚を「いらんか」と言うとびっくりした様な顔をしていた。こんな事はしてはいけません。

 私が小学生の頃だろうか家の職場に長谷田さんという職人さんが仕事に来ていました。時々遊びに連れて行って行ってもらい、大湯へ行った事もあります。

その頃私は泳げませんから長谷田さんは背中に乗せて大湯で遊んでくれました。私が家の仕事に入ると車の免許を取ったら、釣りに乗せて行ってくれと言われていました。

私が車の免許を取った頃長谷田さんは何かの都合で山本鉋の職場を辞めていませんでした。先手の仕事は上手でした。

本当に泳ぐには池へ行きました。住んでいる芝町から南へ二位谷川の横を登り福田池へ、通称大蛇池(おおじゃいけ)と言い狭い山道を歩いて行きます。

大蛇池は雑木林に囲まれた山中で透き通ったきれいな水で泳ぐには最高です。泳いでいて見えるのは山の緑と空の青、のんびりと平泳ぎで池を回っていると最高に気持ち

が良かった。夕方には太陽に暖められてお風呂の様だが、立ち泳ぎをすると足の辺りは冷たくぞっとします。そのためかここで水死した人が数人いました。

今は上に野球場やグラウンドのある三木山公園や三木東中学校が出来、近くに消防署や市役所などがある人の多い所になり山中の池という雰囲気は無くなりました。