鍛冶屋のつれづれ書き

                        圓光大師画圖

平成二十三年四月二十九日に十年に一度周ってくる心光寺の御忌の時手伝いを頼まれてしました。その時本堂の横に古い大きな掛け軸が4軸掛かっていました。

圓光大師とは法然上人の諡号でこの掛け軸は法然上人の一生を描いた絵だろう。立派なものですが上の方は暗くて見えず字は漢文で「絵解きしてもらわんと分からんな」

と誰かが言っていました。御忌の行事が終わり後片付けをしていて、これを古い木箱に収める時箱には嘉永二年と書いてあります
。ちょっと待ってと言って家へデジカメを取りに帰りました。

 

この掛け軸は他に龍の頭などと一緒に、御忌をするお寺へ持って行く持ち回りの道具で大きな木箱に入っています。掛け軸を入れる蓋の表面には勅修圓光大師行状画圖四軸、

裏には東播三木門徒中什寳発起人平山町福田屋太兵衛・滑原町道具屋庄七・芝町鳥羽屋喜兵衛と書かれています。

下箱の横には嘉永二酉戴十月之新調と東播三木門中什寳とが書かれています。



写真を撮っていると極楽寺の住職さんが「山本さんこっちもおもしろいものがありますよ」と言って出してくれたのが「敇傳寄進永代回向記」
という和綴じの冊子。
これは嘉永三年のもので掛け軸を作るためのの寄附の他仏具などの寄附も載っています。一番初めの名前が平山町の井上
八良兵衛で大地主です。他に三木の鍛冶屋で名の残した人の名前が
出てきます。
 三木の鉋鍛冶の元祖である藤屋治兵衛、黒川鉋鍛冶の祖中屋九兵衛、前挽鍛冶の前挽屋五良右衛門・前挽鍛冶の山田屋伊衛門など。他にいろんな
鍛冶屋が合せて
14・5軒が三木金物問屋資料に出ています、そして最後に芝町の瓦屋岩右衛門。金額の表示が変っている。

銀五文目は銀の重さで分かりますが金五拾匹は金の量なのか、絹の量なのか。 

 

もう一つ古い木箱には浄土五部妙典とあり裏には文化七・・・施主中町武川五良右衛門と書いてある。文化七年とはまだ時代がさかのぼる
。武川五良右衛門とは前挽屋五良右衛門の事だろう。
私はこの圓光大師画圖がどれだけ価値があるのか分かりませんが、調査すれば三木市の文化財に
なるかもしれない。ぜひ調査をして欲しいものです、そしてこれを明るい見やすい所で見たいものだ。

 

永代回向記に載っている人の事です。 安政四年は正金銀取扱諸商人名前調帳で他の年号は三木金物問屋史料で調べました


 発起人 平山町 福田屋太兵衛 安政四年に諸色入交商人と出ていますが、地主で元北井酒造の先祖です。

滑原町 道具屋庄七は木綿屋です。

芝町  鳥羽屋喜兵衛は安政四年に諸色入交商人と出ています。

平山町 井上八良兵衛 

屋号は福田屋大地主で福田池築造を呼びかけた人です。

下町  藤屋治兵衛  鉋鍛冶 文化十二年 

三木の鉋鍛冶の元祖というべき人

新町  中屋九兵衛  鉋・庖丁・鍛鍛冶 

元は鉋鍛冶ですが他の鍛冶屋もしていました。私の鍛冶系図をさかのぼればこの人に行きます。

下町  前挽屋五良右衛門 

三木の鍛冶屋で最初に名前が出てくる前挽鍛冶三軒の内の一人です。

下町  山田屋伊右衛門  

この人も最初の前挽鍛冶の一人です。

芝町 瓦屋岩右衛門  瓦師 

元は大塚町に住んでいたが後に芝町に移って来た。城戸酒店の先祖です。

大塚町 山田屋儀三郎 

 戎神社の前で米屋さんをしていた山田さんの先祖、大塚町の山田さんはみんなこの家から

 分かれた家だそうです。

大塚町 油屋嘉兵衛 諸色入入商人 安政四年

 現在の「ギャラリー湯の山みち」のあった所に住んでいました。子孫が絶えた後

 筒井さんが宿原から来ました。

滑原町 山田屋弥次右衛門 前挽鍛冶 文政十二年 嘉永七年

三木で一番古くからの鍛冶屋である大阪屋権右衛門が文政十一年に前挽鍛冶株を質入しているので、

その後山田屋弥次右衛門さんがその鍛冶株を買って前挽鍛冶を始めたのだろう。

大塚町 瓦屋長右衛門 十露盤問屋 安政四年

江戸時代の初め頃から代々続いてきた瓦を作る瓦師として知られていたが、この頃は十露盤問屋をしていた様だ。

東条町 油屋作兵衛  十露盤問屋 安政四年   

心光寺総代東条町の澁谷さんの先祖で、元は芝町に住んでいたが東条町へ転居したらしい。

下町 笹屋與兵衛  鑿鍛冶 文化十二年 天保六年

鑿鍛冶として早くから名前の出てくる人です。そして長く続いています。

下町  花屋市左衛門  鋸鍛冶 天保六年               下町 仲川伊兵衛     鋸鍛冶 文化十二年

芝町 谷屋藤平衛    諸色入交商人 安政四年            滑原町 山田屋屋次右衛門 前挽鍛冶 文政十二年

明石町 京屋平右衛門  曲尺目きり  文政十一年           明石町 井筒屋弥平衛   仲買問屋  安政四年

新町  井筒屋宇平衛  仲買問屋  安政四年             新町 井筒屋惣助     仲買問屋  安政四年 嘉永五年

中町  魚屋宇平衛   鑢鍛冶   文化十二年            滑原長 紅粉屋藤右衛門  金物記荷売 安政四年

中町  柏屋善助    十露盤問屋 安政四年             下町 加古屋利兵衛    木綿屋  天保十五年

滑原町 銭屋惣右衛門  諸色入交商人 安政四年            平山町 福田屋利兵衛   十露盤問屋 天保十五年

平山町 山田屋理兵衛  諸品呉服屋  天保十五年           

 

分からない人

芝町 糀屋利右衛門             芝町   糀屋源兵衛              滑原町   山田友太郎

下町 飴屋平兵衛              下町   木綿屋満蔵              大木ノ下  鍛冶屋善兵衛

大木ノ下 鍛冶屋徳兵衛           下町   和泉屋佐兵衛             東条町   油屋安兵衛

滑原町 米屋太兵衛             下町   和泉屋清吉              下町    綿屋想兵衛

上町  岡野屋傳右衛門           平山町  福田屋長兵衛             原町   大阪屋甚兵衛

平山町 佛師與兵衛             明石町  柏屋善右衛門             中町    会津屋與兵衛

上町  池田屋善七             滑原町  呉服屋源右衛門            

他に個人として井上村と吉田村の人が寄附をしています。


  

平成二十三年十一月二十七日に今年の春心光寺の御忌の時に見た園光大師画圖の掛け軸を、市の関係者と隣の三宅さんが調査に行くというので一緒に
行って来ました。
三木市井上の林鐘寺が新築されてその式のために掛けてありました。心光寺にあるときは暗くて見えませんでしたが、新築の明るい本堂
で見るとよく見えます。作られてから百六十一年経っていますが
、そんなに痛んでいる所はない感じです。すごいものです、こんないい状態でよく残って
いたものだ。それは年に一回行われる御忌の時だけに掛けられただけだからいい姿で残ったのだろう。

大きさは測ってこなかったのではっきりとは分かりませんが、横が九十cm位縦が三m位の大きなものです。四幅あり一幅に二十二から二十八の場面が
描かれ、それぞれ説明文が横に書いてあります。

法然上人の一生を描いたものだが昔の文章なので読めず、市の方で現代の文章に訳してくれるそうです。この絵を描いた絵師の名前があるかなと思ったが
ありませんでした。
この掛け軸は人が集まった時にお坊さんが法然上人に一生を絵解きしたものだろうとみんなで話をしました。しかし座って掛け軸を見ると
上の方の絵ははっきりとは見えないだろう。
これは忌日法要の時に掛けるものだから、この掛け軸が法然上人だと思い手を合わせたのかもしれない。